2015.08.23 おにころ
ミュージカル(H27,8)
 
八月や心に響くミュージカル

8月23日(日)、群馬音楽センターで三澤洋史指揮(演出、作曲、脚本)群響で、創作ミュージカル、愛をとりもどせ 「おにころ」 があり見に行った。会社の先輩であるF氏のご紹介であったが、なかなか心に伝わるものがあり感謝している。F氏ご夫妻もご覧になっていたが、音楽の良さを充分味わわせて貰った。三澤洋史氏は2001年から新国立劇場合唱指揮者としてご活躍中とお聞きしているが、彼自身のお気持ちも伝わってくるようでもあった。そういえば、どなたの句かは知らないが、「八月や六日九日十五日」という句もある。「思いやり」とか「やさしさ」は、相手を思う心であるから、人と人、国家と国家でも成り立たせていきたいものである。
2015.08.23 屋形舟
屋形舟(H27,8)

思ひでも納涼(すずみ)となりし屋形舟

学性時代のスキー仲間が40名近く集まり屋形舟で納涼の会を行った。大先輩のK氏は長野は蓼科の方から・・・。長野の方が涼しいとの事であるが、心を通わせる仲間がいるからであろうか?その大先輩を始め皆が集まった。東京湾からレインボー・ブリッジを眺めながら、一杯飲むのもまたよしである。
船宿「縄定」と幹事に感謝しつつ、龍太の句を思い起こす。「こころいま世になきごとく涼みゐる」(龍太)
2015.08.23 盆帰省
盆帰省(芒の句、H27,8)

普羅の忌や立山ヶ根守る芒の碑

我が故郷、冨山市本宮念法寺境内に、旧師前田普羅の石碑がある。「立山の雨にほごれる芒かな」(普羅)の石碑である。その石碑は立山ヶ根3人衆と呼ばれた亡き父山元白樺、中川岩魚、山元桔梗が作り、兄の山元飛鳥が守っている。
私には逆にこの句碑が立山ヶ根を守っているのでは・・・・・・とさえ思える。因みに、この拓本を掛け軸にしたものが、今は亡き弟の重男の座敷に飾られていた。義妹に感謝するばかりである。
2015.08.10 蓮の花
蓮の花(H27,8)

人の世の心の鎮め蓮の花

何故が蓮の花を見ると心が鎮まるのは私だけだろうか? しかもこの暑い夏の季節に咲く蓮の花。音楽を聞くのとはまた違う癒やしの世界。この世の中は素晴らしい事に満ちている。感謝。
2015.08.09 夕暮れの富士
夕暮れの富士(2009,8)

夏霧も名山の威を隠し得ず

8月7日(金)河口湖経由静岡に向かった。少し早いお盆であるが、混む前にと思い、富士五湖へ向かったのである。
しかしながら、気温のせいか霧がかかり、全く富士山は拝めなかった。親友のKさんのお兄上が何年か前に撮られた富士が想い出される(写真)。私の目には名山の姿がくっきりと見える様である。
明日8日は暦上は立秋となるが、富士の姿は望めるのだろうか・・・・。
2015.08.06 雲海
雲海遙か浅間山(H27,8,1)

雲海の彼方に浅間信濃富士

古来から麓の人々に「信濃富士」と呼ばれ、霊山として崇敬されていた有明山(2268m)。西行法師が「信濃なる有明山を西に見て、心細野の道を行くなり」と詠み、藤原定家が「てりかはる紅葉をみねの光りにて、まつ月細き有明の山」と詠み、多くの詩で有明山が詠われているのも理解できる。驚きは山名の由来で、天照大神が岩戸にこもった際、手力男命が岩を投げた時に、ここに落ち、天下が明るくなった山であるとの伝説が山名の由来の一説とか・・・・・・。私はこの三月に、高千穂神社に行き、近くの天岩戸神社にお参りをさせて頂いたばかりだったので、あまりの偶然にビックリした。そう言えば戸隠神社も長野県であった。
いずれにしろ、その信濃富士(有明山)が手前に、そして見事な雲海の、遙か彼方に浅間山が見える景色は、まことに荘大でとにかく素晴らしい。燕岳からのこの景色は・・・・なんと形容すべきか悩む。

槍ケ岳(燕岳頂上、H27,8,1)

風涼し神の座占むる槍ヶ岳

人々は昔から山に神々が宿り、それを霊山、霊峰と呼ぶようになり、敬虔な祈りを捧げて来た。その山への祈願は、豊かな自然の恵みへの感謝や噴火、洪水、干ばつ、暴風雨の抑止と安穏を願い、崇拝して来たのである。鈴木正崇著の「山岳信仰」には下記の様に書いてある。出羽三山、大峯山、英彦山の三大霊場をはじめ、富士山、死者の魂が赴く立山と恐山、御座の木曽御嶽山、鎖禅定の石鎚山・・・・・。個性豊かな山々に恵まれた日本人の精神文化の根底には、山への畏敬の念が息づく。
今朝の槍ケ岳にはまさしく神の座を占める畏敬の念が湧く。
朝日を浴びる槍ヶ岳(H27,8,1)

朝焼けの紅を浴びたる槍ケ岳

日の出の時に東の空が紅黄色に染まる現象を「朝焼け」という。日の出や日没時には、太陽光線は最も厚い大気の層を通過して地上に達するが、散乱光の強さは入射光の波長の4乗に反比例する為、波長の長い赤色が最後まで散乱されずに残り、赤い空が生ずる。私には朝焼けが神々しい。神秘的すぎると思ったのは、私だけであろうか?
2015.08.06 ご来光
御来光(H27,8,1)

どよめきはこの一瞬にご来光

4時47分どよめきが起きた。まるでこの一瞬の為にここに佇っているようだ。ご来光とは「高山の頂上で見る荘厳な日の出」とでているが、確かに太陽の恵みを受けて、我々は生きていると言えるので、拝むという言葉がぴったりである。敬虔な気持ちにさせられる。
2015.08.06 雲海の浅間山
雲海の浅間(H27,8,31)

雲海や浅間の煙噴き止まず

朝4時過ぎの雲海は見事であった。他の言葉を持つことはできない。御来光がでるのを待ちながら東の方を眺めると幽かに浅間山が見えた。噴煙も幽かに認められる。いつも我が家の近くから見る浅間山の雄姿とは違うが、とにかく感動した。旧師前田普羅に「春星や女性浅間は夜も寝ねず」という名句があるが・・・・・・・。夏の浅間も素晴らしい!!
夜明けの槍ケ岳(H27,8,1)
 
御来光共に待ちたる槍ケ岳と月
(ごらいこう ともにまちたる やりとつき)

8月1日(土)2763mの燕岳頂上稜線上にある燕山荘のベランダから見た早暁の槍ケ岳。4時47分が夜明けという事で、4時過ぎに外へ出た時の槍ケ岳と満月の蒼い月・・・・・・・。共に御来光を待っているようだ。