2016.01.29 雪の立山
立山2(H27,2)

玲瓏と大気も清し初山河

立山連峰は冨山県民の誇りであるが、昨年末皇太子さまが国連で立山の句を世界に発信された。即ち、11月18日国連本部「水と災害に関する特別会合」で、皇太子さまが、冨山ゆかりの俳人、前田普羅(1884~1954年)の代表句「立山のかぶさる町や水を打つ」を英語で紹介されていたことが分かった。雄大な立山連峰を詠んだ普羅の句を通して、水の恵みと平和の大切さを訴えられた。旧師前田普羅を、「私が好きな前田普羅の句で締めくくりたい」と述べられた・・・、との記事は大変勇気付けられるものだし、「この句にあるように、人々がどこでも水とともに平和にゆったりと過ごせる世界を実現できるよう、私も今後とも取り組んでいきたい」との決意のお言葉は、まことに恐れ多いことですが、称賛に値するお言葉であると思う。登山好きの皇太子さまの心を捉えた一句だったのだろうか。
2016.01.29 冬霞
冬霞妙義山(H28,1)

冬霞山脈(やまなみ)やさし妙義山

空気は澄んで冷たいが冬麗かといえるのだろうか、妙義の山脈(やまなみ)が遠く霞んで、なだらかにやさしく見える。「見詰め得し山脈の威や冬霞」(作間正雄)の句があるがなるほどと思う。
2016.01.29 雪の浅間
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山襞に蒼き地肌も初浅間

この句は当然もう少し早い時期に作った句である。11日に帰国し初めて浅間山を眺めた時は日本に帰って来た感じがした。。しかし、18日の雪で、雪の浅間山となった。どちらかと云えば、やはり雪の浅間山が好きな私である。
2016.01.29 薄氷
薄氷(H28,1)

蹲(つくばい)を凛とさせたる薄氷

今シーズン初めての氷りが蹲(つくばい)にはった。我が家の庭も、凛とした感じがする。気温が低い為か、雪が全然溶けず、こういう状態が何日も続くのであろうか?
2016.01.29 雪達磨
a href="http://makotohaiku.blog.fc2.com/img/201601290842481ac.jpg/" target="_blank">雪達磨(H28,1,23)

雪達磨何故か微笑む土曜午後

私の囲碁の師匠のお宅の庭に雪達磨が鎮座していた。囲碁の帰りに見ると何故か微笑んでいるようだ。まるで最近町内の囲碁会で連敗中の私を励ましてくれているようだ。インド旅行にマグネットの碁盤セットを買ったのだが、全く囲碁が出来ず、飛行機の中で、日本棋院の「100問の問題」を、碁石も並べずやっただけである。やはり、実際にならべないとだめだと痛感した。今年の目標に囲碁の実力アップを入れたい。
2016.01.29 雪の朝
雪の朝(H28,1,18)
 
珈琲の香りを纏ふ雪の朝

確か月曜の朝であったろうか、天気予報どおり雪が降って来た。一昨年の2月以来の雪の様な気がする。前橋の街は静かに明けていくが、珈琲の香りを楽しんでいたのでびっくりした。ただしんしんとふる雪・・・・・。
Khangchendzonga walking3

雪嶺を朱に染めたる朝日かな

カンチェンジュンガが朱に染まり空中に浮かんでいる。今朝は特に素晴らしい。これを見る為にダージリンにいるのだな~と思える景色ではある。
2016.01.27 果物
果物(H28,1)

果物も冬のデリーに溢れけり

デリーでは、夏は熱くなる為野菜が少なくなり果物は豊富(マンゴ―等)、冬は野菜は豊富だが果物は限られる、との話だが、お正月のインドの小さなマーケットではそれなりに豊かな果物を見る事ができた。少なくとも、野菜、果物が日本と比べると、とてつもなく安く思えた。果たして何年も住んでる人からみて正しい感想かどうか?
Khangchendzonga walking,2

山育ち山を見上ぐる三が日

毎朝散歩してヒマラヤ(カンチェンンジュンガ、8586m)を見上げているが、よく飽きないものだと言われる。山育ちの私には極めて当り前の景色かもしれないがさにあらず、ここは日本とは違うのである。しかし、ダージリンの人達は日本人に似ているし、とても自然体で山を見ている自分にビックリする。この凛と張り詰めた空気のせいであろうか?
Khangchendzonga walking

寒暁のカンチェンジュンガ眼裏に

早朝の散歩も晴天に恵まれ、実に素晴らしい景色が眼裏に残っている。また訪れる機会があるだろうか? Makalu(8481m)、Everest(8848m)、Lhotse(8571m)も、再度見る機会があれば良いなぁと思う今日この頃ではある。
幻想的なKhangchendzonga(H28,1)

年たつやカンチェンジュンガ朱に染まり

朝靄の中に御来光を受け朱に染まったカンチェンジュンガがあらわれた。一時は諦めていたが、現実になった瞬間を思いだしてみる。やはりダージリンに来てよかった・・・・・・。何回も無意識にシャッターを押したが、思いだす度に良いなぁと思う単純な私である。
2016.01.25 市場
市場(H28,1)

年立って市場賑はふダージリン

何故かホテルに帰る道すがら市場を通ることになった。衣料品が主な市場だったがとにかく楽しい雰囲気だった。家内と長女も楽しんでいた様だ。ダージリンの一時ではある。

マハ・カーラ寺院(H28,1)

賜りし赤いしるしや冬の午後

ホテルの近くにヒンドゥー教と仏教が一緒になった、インドでも珍しい寺院を訪れた。マハ・カーラ寺院である。特に面白いのは、ヒンドゥー教の神様(カーリーまたは大黒天)の前で、仏教の僧侶が経を唱えており、他では見られない様な光景が拝見出来るところだとフロントで聞いていた。ところが、家内と長女がお参りしてたら、ヒンドゥー教の僧侶がきたのか、額に赤いしるしをつけて出て来たのである。何というか・・・・まるで逆である。ビックリしてしまった。ティカ(額に赤いしるしをつける)を女神から頂くヒンズー教のお祭りの10日目(毎年10月頃ダサイン)の様だ。祝福を表す印である。因みに既婚者で夫が存命中のヒンドゥー教徒の御婦人がつけるのはビンディーという。この寺院には猿が何匹もいた。目を合わすとまずいようだ。
イガ・チョリン・ゴンバ僧院(28,1)

金色の菩薩に抱かる初参り

グーム駅の上にあるチベット仏教の寺院で、ダージリンで最も古い寺院。1850年に建設された。仏教徒の多いダージリンでは、ゴンパと呼ばれる仏教寺院が幾つもある。すなわちダージリンはかってスイッキム王国の領土であったことから、いくつかのチベット仏教寺院が残っているのである。イガ・チョリン・ゴンパはダージリンで最も重要な寺院である。とても良い空気が漂っている寺院の中央に祀られているのは、Maitreya Buddha と呼ばれる鮮やかなブッダ像・・・・・。(ご本尊はおよそ5mの弥勒菩薩で、色鮮やかな堂内の壁画も一見の価値あり)。ダージリンに多数ある仏教寺院は堂内写真撮影禁止だが、この僧院では10Rs支払う事で許されていた。
トイトレィンの歴史(H28,1)

初乗りは歴史も古きトイトレィン

グーム駅にある博物館には、トイトレィンを知るうえで貴重な写真や資料が沢山展示されている。今残っているスイリグリーとダージリンを結ぶ路線以外にも、かってはカリンポンまで伸びている路線、ビハ―ル州北西部のキシャンガンジまで結ぶ路線もあったが、どちらの路線も崖崩れ等の事故により不通となり、時代の流れの中で廃線となっている。ダージリンからグームまで乗っただけだが充分堪能した。山岳鉄道はユング・フラウに行った時以来である(詳しくは前述済み。)いずれにしろ、紅茶の輸送と避暑客の為に、よくぞ作ったりと思ったものである。

2016.01.24 冬休み
冬休み(H28,1)

冬休み老ひも若きもトイトレィン

インドでは日本の正月休みではなくディワリ(Diwali)がある。即ちヒンドゥー教の新年のお祝いである。別名「光りのフェスティバル」とも呼ばれ、10月末から11月初めのインド歴の第7番目の月の初めの日になる。したがって、僅かばかりの冬休みをトイトレィンに乗って楽しむ彼等は明るい。とにかく人が多い。因みに、トイトレィンは事前の予約が必要でなかなか乗れない。
2016.01.22 トイトレイン
Toy Train(H28,1)

ヒマラヤも煙りのかなた三が日

イギリスの植民地だった1,881年。ダージリンの紅茶の輸送と、避暑地に行き来する人を運ぶ為に開業した鉄道。1,991年に世界遺産に登録された.。日本で鉄道が開業したのが1,872年(明治5年)。横浜ー新橋間、29km、1日9往復53分だから、この山間地にと思うと、俄かに信じられなかった。鉄道に興味がなくても、その姿と、おもちゃの様な列車を、真剣な表情で走らせるおじさん達を目のあたりにしたら、きっと誰だってわくわくして嬉しくなる。トイトレインの正式な名前は「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」。煙の向こうには名前のとおり空にヒマラヤが浮かぶ。狭い道の両脇には商店が軒を連ねる。路上駐車をしている車があるが、よく見るとその下には線路。車がどいたと思ったら、今度は人が歩きだす。線路なのか歩道なのか分からない。標高2,000mのワクワクする世界遺産である。小さくておもちゃみたいな「トイ・トレイン」である。
朱のkhangchendzonga(H28,1)

玲瓏と雪嶺まさに朱に染まり

 カンチェンジュンガを見る為、年末年始をインドからチベット、ネパール&ブータンの国境まで行った。天気が崩れるかもしれないとインター・ネットにでていたので、見れないということも考えていたが・・・・・・。神様というものが、もしこの世に存在するとしたら感謝の気持ちを捧げたいものである。何をさておいても山は美しい!! 理屈抜きである。67歳の現在まで、気の合う山の友人、スキーの友人等を何人も失って来た。東京、福島、静岡、冨山等・・・。何故私だけが生きているのか? 時々考えるようになった。何故か、生かされているのかもしれない。
Sunrise (H28,1)
 
初日浴ぶ経を唱ふる人そばに

 チベット仏教のような格好で、確か「南無妙法蓮華経」と唱えている人がいた。後で、ガイドの人に聞いて見たら、よく理解できなかったが、日蓮宗のお寺がかってたっていたという説明であった。不思議な一時・・・・、宗教の事はよく分からないが、確かに神の坐す山ではある。

 
khangchedzonga from Darjeeling(H28,1)

遙かなるヒマラヤ望む三が日

ダージリンのホテルでは毎朝散歩した。標高2,100m前後だと思うが大変気持ちが良い朝を過ごさせてもらった。特にヴュー・ポイントとも言える場所では、カンチェンンジュンガがよく望める。いつの日かもっと近くで見てみたいものである。人間は何故山に憧れるのであろうか・・・・。
khangchendzonga(H28,1)

神々の山嶺仰ぐ大旦(おおあした)

 朝4時過ぎに出発し、タイガー・ヒルに向かった。そこで、インド等の國の皆さんと御来光を待ち、1時間以上待つ。写真を趣味とするインド人と話をしたら、 「御来光ではなくその反対側の方向に、御来光を浴びたカンチェンジュンガが見える。ゴールデン・カラ―のカンチェンジュンガは本当に素晴らしい」 と、話してくれた。世界第三位(8586m)の山だからというだけでなく、本当に神々しいと思えたのは事実だ。因みにカンチェンジュンガとはチベット語で「偉大な雪の五つの宝庫」の意味だそうだ.。また、1850年頃には世界の最高峰と考えられていた。確かにその事が納得できる高さ、大きさ、迫力がある。私にはまさに、「神々の山嶺」 と思えたのである。
afternoon tea(H18,1)

冬ぬくしアフタヌーン・ティー和やかに

 ニューデリーから飛行機で2時間、車で5時間弱も走って着いたダージリン。ホテルでほっとして頂くアフタヌーン・ティ―は実に美味しかった。世界の三大紅茶の一つ、ダージリンも当然美味しかったが、暖炉の灯を見ていると本当に落ち着く。さすがヘリテ―ジ・ホテルというだけの事はある。
2016.01.20 Kurseong
Kurseong(H281).jpg

へばりつく数多の家や冬の山

Kurseongに着いた。丁度、バグドグラ(Bagdogra) 空港から一車線の道(片方は崖)を二時間半掛けて登って来た。それこそ、落ちたら死ぬなぁ~と思いつつも車は登る。日光のいろは坂などというものではない。冨山の有峰ダムを作っていた頃の道みたいである。現地のガイドに聞いたら、丁度ダージリンまで半分の道のりであった。ここで、それこそダージリンの紅茶とチベットから伝えられた「モモ」を食べて元気を出した。幼いインドのお嬢さんがテーブルに来て、Kurseonは始めて?とか、どちらの国から来たの?と可愛らしく話かけて来たのが印象に残った。思えばカンチェンジュンガを見ようと思っただけでここまで来てしまったたが、山にへばりつくように建てられた家が、更に印象深い。
2016.01.19 ヒマラヤ
ヒマラヤ(H28,1)

幽かなる雪嶺ヒマラヤ窓にあり

今回の旅行はカンチェンジュンガ(8586m、世界3位)を、ダージリンから身近に見ながら、のんびりお正月を過ごそうと決め、日本を出て来たが、さすがにBagdogra Airport に向かう飛行機の窓からヒマラヤが姿を表すと感激する。左サイドの席をリザーブしたかいがあった。飛行機の窓から幽かに見えたヒマラヤ!!心が躍る私である。
2016.01.19 夕日
夕日・インド(H27,12)

数え日をインドの夕日眺めつつ

年末年始をインドで過ごそうと決めニューデリーにまず行った。グルガオンは排ガスの為かガスって見える。夕日を眺めつつ平成27年の過ぎ去った日々を思う。あっという間の1年ではあった。来るべき年が良き年であるよう、思わず祈りたくなるような夕日である。