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2017.06.14
サツキ咲く

サツキ咲く西楼門を四条へと
大谷租廟でお参りの後、八坂神社にもお参りした。平安時代には二十二社の一に数えられ、朝廷からも厚く崇拝された。一方、民衆の信仰も深く京都はもとより全国に広く崇拝される様になった。現在ではこの神を祀る神社は三千余社に及ぶ。その八坂神社の西楼門前の石段下は、今サツキが見ごろになっていて、見違えるように美しい光景を放っていた。我々は四条通りへと向かった訳である。
2017.06.14
舞妓

擦れ違ふ舞妓の所作の涼しさよ
たまたま舞妓さんと擦れ違った。祇園界隈では珍しくもないが、流石にプロだと感じたのは所作の美しさである。夕方の暑さが残る時間ではあったが、そんな素振りは微塵も感じられなかった。何ごとにつけ、プロと名のつく人の「立ち居振る舞い」は美しい。
2017.06.14
立葵

風薫る祇園白川立葵
祇園界隈を散歩した。白川の清流のせいか通る風も涼しく、まさに風薫る五月、京都の情緒を楽しむには最高のスポットと言えよう。
立葵がちょうど美しい花を咲かせ彩りを添えていた。子供達はどう感じただろうか?セーヌにはない何かがあると思うが・・・・・・。
2017.06.14
大谷祖廟

忌を修す新緑深き東山
5月28日、京都東本願寺大谷租廟に家族でお参りに行った。私にとって、ある日、長女が今は亡き祖母に報告したいとの言葉だけで、とてもハッピーであったが、フランスから帰国中の次女と家内との四人で大谷粗廟にお参りできるのは、何事にも代え難い嬉しい事であった。「感謝」あるのみである。泉下の母も喜んでいることであろう。
2017.06.14
矢切の渡し

風かほる矢切の渡し眺めをり
帝釈天に行ったのは5月の21日(日)であったが、山本亭をでてから暑い中を歩き、江戸川の堤防に辿りついた時ほっとしたのを記憶している。やはり風がとても気持ち良かったからであろう。ただ江戸川と「矢切の渡し」をずっと眺めていた。
矢切の渡しの始まりは江戸時代の初期。江戸川を挟んで両側に田を持つ農民が、舟を使って関所を通過することなく江戸と往来したことでした。伊藤左千夫の名作「野菊の墓」で知られ、同名のヒット曲で一躍有名になったこの「矢切の渡し」。現存する江戸川唯一の農民渡舟なのである。古くは千葉県の市川方面と東京・柴又とを結ぶ重要な交通機関として活躍。
2017.06.14
睡蓮

睡蓮の凛と咲きたる静寂かな
帝釈天の近くに山本亭がある。帝釈天境内の雑踏とは別に、ここは静けさがある。その表れが綺麗な庭園の中の睡蓮なのではなかろうか?ほっとした気分になった。伝統的な書院造りの山本亭は、現在は葛飾区が買い取って一般公開している貴重な文化財である。庭に面した大広間は昔ながらの波打ったガラス戸で囲まれており、美しい庭園を見ながら寛ぐ事が出来る。今日は風がとても気持ちが良い。
2017.06.13
ハイカラ

ハイカラな看板かとも夏は来ぬ
いかにも昭和を感ずる看板がかかった店が参道の入り口にあった。ラムネが絶対にあると思う・・・そんな店構えである。面子(めんこ)なども置いてあるに違いない。古いね~。「平成」が終わろうとしている時期ではあるが、昭和生まれの人間には感ずることがまことに多い、そんな店に出合った。もう、夏になったんだ、今年も。
2017.06.13
夏めく

夏めきし帝釈天の参道に
午前中なのに日差しの強い日で、思わず汗がでそうな日和になって来た。寅さんが「よっ」と言いながら路地から出て来そうな雰囲気に、なんとなく幸せを感ずる。葛飾柴又の帝釈天にご挨拶をしなくては・・・・・・・。
2017.06.13
草団子

威勢よき言葉に食す草団子
7月の吟行の下見に、5月中旬柴又に行った。朝早かったのだが威勢の良い言葉に迎えられ、何となく有名な草団子を食すことになった。山田洋次監督の葛飾柴又の寅さんが懐かしく思われる舞台「とらや」。撮影も行われた懐かしい舞台ではある。
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