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2017.09.27
誕生日

艶やかに誕生祝ふ蘭の秋
9月26日(火)は家内の○○歳の誕生日。子供達から胡蝶蘭のプレゼントがあった。幾つになってもプレゼントは嬉しいものである。まして今年は、初孫の顔を拝ませて頂いた。天からの授かりものであろう。
胡蝶蘭愛でる一日の冴返る(増田八重)という句もあるが、この色の胡蝶欄は実に艶やかである。ともに祝う蘭の秋・・・・・。
2017.09.27
向日葵(ひまはり)

秋なのに向日葵の花気高くも
8月25日(金)、朝一スタートのゴルフを楽しんだ後、シャワーのみで、親しい友人達の集いに行く為、急いで東京に行った。集合時間は6時30分銀座6丁目のとある店だったと思う。早く着いたし、まだまだ暑いので帝国ホテルのロビーで少し寛いだ。
その時、「向日葵」が写真の様に活けてあった。私にはまことに素晴らしく感じられた。いったいどなたが活けたのだろう?
世の中には本当に凄いセンスの方がいるものだ!!
(日程的に少し遅く掲載したが印象深かったので掲載した)
2017.09.27
栗の渋皮煮

渋皮煮作らんと栗皮を剥く
先日、前・業務部長をなさっていた入澤さんから新鮮な栗を頂いたので、「秋の黒い宝石」といわれる渋皮煮を作ろうと、強皮を必死に剥いた。剥いて並べてみたがなかなかである。ここまでが私の仕事。後は家内に任せるのみである。秋は自然の恵みがあるので好ましい。紅葉だけではないのである。すっかり、前橋の秋を楽しめるようになった。
2017.09.27
乾杯

長き夜やさらに尽せと乾杯を
若夫婦も集い乾杯を重ねて祝杯といったところだが、あいにくジュースでの乾杯と相なった。我々はビール、個人的には焼酎を重ねて悦にいる。何せ68歳にして初孫である。言葉はいらない。
2017.09.22
鰯雲

ファミリーの増えし喜び鰯雲
今年は、長女の再婚,初孫の誕生(9月)等々、嬉しい事が重なり、とても幸せな平成29年となった。やはり家族が増えるということは、無条件に嬉しく喜ばしい事である。初孫の名前、「聖(たかし)」も、若い二人が一生懸命考えたようだ。その思いが、若い命にしっかり伝われば、良い子に育つであろう。
鰯雲は、巻積雲、小斑点群または漣群をなして空にひろがる。漁夫は鰯大漁の兆しといって喜んだと言われる。鰯雲個々一切事地上にあり(草田男)、鰯雲はなやぐ月のあたりかな(素十)の句もあり。この季語が大漁の兆しであるように、我が新しいファミリーにも瑞兆となりますように・・・・・。
2017.09.22
佐伯有頼少年像

秋の日を受けて立山(たち)指す少年像
呉羽山公園展望台には少年像がある。有頼少年が、父である越中国主・佐伯有若の大切にしている白鷹を持ち出し、鷹狩りに興じていた際、逃げた白鷹の行方を追って、立山に入山。その途中、熊に襲われそうになり、矢で熊を射り、熊の血の後を辿って入った洞窟で、胸に矢のささった阿弥陀如来の姿に対面。白鷹と熊は阿弥陀如来の化身であり、立山を信仰することにより、多くの人々に救いがもたらされるよう、立山を開山したそうな・・・・。そんな伝説の主、佐伯有頼の銅像は、立山開山1,300年を記念し、平成13年に建立された。この展望台は毛勝山~薬師岳まで、3,000m級の山々の連なりが見渡せる。
2017.09.22
秋日差

秋日差す故郷(くに)を護りし剱岳
9月19日(火)宇奈月温泉から呉羽山に行き、秋日差す立山連峰を拝むことになった。9時30分頃であろうか、相当温度も上がり霞んで見えるが、商工会議所も向こうに剱岳が聳えている。まるで我が故郷・冨山を護っているようだ。
2017.09.07
小鳥来る

小鳥来る小さき羽根をはばたかせ
我が家にも、天のご加護か小さな命を授かった。長女の産んだ子は2,940gの男の子。身体を目いっぱい伸ばすように背伸びするのが、見ていて微笑ましい。どうか大きく羽ばたいて欲しいものである。
「晴れてよし曇りてもよし富士の山」(山岡鉄舟)という句がある。実際その後に続くのが、もとの姿は変わらざりけり。見よ、天地の道を一呑みにして、至誠の侵すことのできないことを言い現わしているよ・・・・・・。即ち、どのような状況に置かれてようとも「天」に対して誠実であろうとする思想は「四知(天知る、地知る、己知る、汝知る)」にも通ずる。人のあるべき姿を端的に教えてくれる山岡鉄舟の歌である。
どうかこの子も、自分に、天に、誠実に生きてほしいと切に願う。
2017.09.06
夜長
2017.09.06
虫の音

虫の音に嬉しき知らせ神田より
昨晩、急遽初孫誕生!! 予定日は9月27日、帝王切開の予定日は9月15日だったのでまだまだと思っていたら、諸事情があり、急遽お目出度い知らせとなった。しかし、引き続き卵巣嚢腫の手術(全身麻酔)と聞き、また心配しつつ待った。その後、ラインで赤ちゃんの姿と母子とも無事ということで安心。親は心配するだけの存在と思ったことである。神田はお茶ノ水からの嬉しき知らせ・・・・・・・。
2017.09.05
墓参り

墓参りともに手合わす父祖の山
墓参りは幸せなことにずっと続けて来れた。六十八歳の現在あるのはご先祖のお陰であるし、関係ある皆さんに支えられ、今日に至っている。それこそ、「感謝」の気持ちがあるばかりである。先祖伝来の山、即ち父祖の山に向かって、お墓に祈ると同時に、しっかり手を合わせお参りした次第である。
個人的には・・・・・・、今年は春先に長女の再婚、おめでたの知らせがあり、次女もフランスで、夫婦仲良く健康に暮らしているようである。とてもうれしい。加えて、五月に「山の仲間」と、ほぼ五十年ぶりに立山室堂山荘で再会できた。皆さんの元気な顔を見てとても勇気がでてきた。七月末には、学生時代のスキ―関連の先輩・後輩の三人で、針の木岳登山をした。生憎の小雨、大雨であったが、雪渓の雪が多く、針の木大雪渓・直登の醍醐味を味わう事が出来、綺麗な高山植物に励まされ、楽しい登山であった。
「日本三大雪渓」の名は決してだてではないと感じた。
今月、初孫に恵まれる。母子ともに健康であれと天に祈るばかりである。
2017.09.05
立山本宮の由来

盆の朝兄に郷土の歴史あり
今年のお盆の墓参りは小雨が降る中で行われた。故郷に住む兄一家四名と私ども夫婦の六名だけである。なんとか浄土真宗のお経を、少しは覚えていたので口ずさんだ。私の句集「新樹」の第一句は「墓参り母の読経に身を正す」(誠)であるが、当時とは隔世の感がある。少なくとも母、叔父、叔母、弟夫婦はいたような気がする。私自身について言えば、六十八歳にしてお経も覚えていないとは・・・?親不幸もここに極まれりといったところか!?しかし、健康でこうして尊敬する兄一家と共に墓参りに来れたことを感謝するばかりである。
墓参りの後、花霧の石碑を訪れた。写真の「立山本宮の由来」の石碑は、「立山本宮」の石碑と並んで建っている。立山信仰について、即ち立山本宮の由来については、兄が強烈に詳しい。父が郷土史研究をされてたが、兄が受け継いだのだろう。「伊呂波字類抄(十巻本)」「類聚既験抄」等の世界は兄の世界であり、兄には郷土の歴史が研究課題である。
詳しくは、http://seikikun.exblog.jp を参照願いたい。とても詳しく専門的である。
2017.09.05
立山信仰

ふる里の歴史重たき盆の朝
我がふる里、冨山市本宮は立山山麓にある。地名や集落名ではなく社名であった古代の本宮の考察を進める時に、まずは本宮の現在の地勢と三転の歴史を知ることが重要である.
詳しくは下記のメールアドレスをクリックし参考にされたい。郷土史研究家・山元正気氏のブログである.
http://seikikun.exblog.jp
写真の「立山本宮」の石碑は冨山市、旧大山町の花霧地区にある。
本宮(ほんぐう)とは、神霊を他に分けて祭ったもとの神社。また特に、熊野本宮大社のこと。
本宮(もとみや)とは、主神が鎮座する根本の社。本社。ほんぐう。
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