2017.11.15 山の氷柱
室堂山荘氷柱(H29,11)

大日岳を能登を見降ろす氷柱かな

氷柱が主役の室堂山荘からの素晴らしい写真で気分転換している。

心から尊敬している会社の大先輩が、10月上旬、体調不良となり、入院検査の結果、全く予期せざる胆嚢ガン。しかも胆道・肝臓・肺にも転移、手術不能との診断だったとか。12月に某ホテルで「感謝の会」を行われるとのこと。とても残念で寂しい。ゴルフを年100回もなさるほど、お元気だったのに・・・・。言葉にできない。

「素晴らしきかな、人生」といえる実績を世の中に残し、この世に貢献して来た方だと思う。
僭越だが、彼の残された時間に幸あれと祈るばかりである。



2017.11.15 逆さ立山
立山(H29,11)

紺碧の空に冠雪逆さ立山

みくりヶ池にこの季節ならではの冠雪の逆さ立山が映っている。紺碧の空とは、やや黒みを帯びた青色の空のことをいうが、まさに
紺碧の空に映える立山である。
この写真は私にとっては貴重な写真であり、岳友の須田(さん)には感謝あるのみである。
2017.11.12 虚子庵
虚子庵石碑(H29,11)

日向ぼこ時代を超えし縁側に(虚子庵)

俳人高浜虚子は昭和19年9月4日から足掛け4年間、戦火を避け、小諸に疎開していた。虚子が過ごしていた家の縁側に座り、思わず日向ぼこの気分で、ゆったりしてしまった。余りにも良いお天気なのと、誰も訪れる人がいなかったからである。
その虚子庵の前に、「人々に更に紫菀に名残あり」の小さな句碑があった。
戦争中から戦後にかけ、疎開した小諸の町の人々にリスペクトされ、そして自らも小諸の自然を愛し、わずか4年間だったが、それが素晴らしい思い出となり、名残りが尽きなかったのであろう。

2017.11.12 虚子記念館
虚子記念館石碑(H29,11)

紅葉狩り今日の締めなる記念館

懐古園の紅葉に満足はしたものの、今日の締めには、やはり俳人の一人として虚子の記念館ぐらいは行くべきと車を進めた。
記念館の前には句碑が建っていた。どんな句が彫られているか楽しみに見たら、「紫を負ひそれにしめじの篭をさげ」 の句であった。私にはなじみのない句であるが、彼の疎開した4年間を記念すべき句なのだろう。

2017.11.12 燃える秋
燃える秋(H29,11)

燃えるごと信濃の国の紅葉かな

素晴らしい日和となり信濃の国は蒼い空が拡がっている。それを背景に紅葉の紅はまるで燃えている様である。何とも言い現わす事が困難な紅色・・・。小諸なる古城のほとりの出来ごとであった。

2017.11.12 古き欅
古き欅(H29,11)

触れもして古き欅に落葉かな

懐古園にまことに立派な欅が聳えていた。思わず手に触れてみたくなるほど素晴らしい。説明書をみると五百余年の歳月を生き抜いて立っているとのこと。まさに小諸城の歴史を語る「欅」と云える。家内だけでなく、私も手に触れて、静かに歴史を聞いてみたものである。
人間の作ったものより、自然の力は遙かに素晴らしい。そばの木々からは、落葉がただひらひら舞い落ちるばかりである・・・・。

朝日輝く大手門(H29,11)

朝日受け輝く紅葉大手門(小諸城)

小諸城の大手門は所謂「懐古園」からは少し離れたところにあった。慶長17年(1612)藩主仙石秀久が小諸城を築いた時代の建築。小諸城の表玄関にあたり、本丸から数えて4番目の門なので「四の門」とも「瓦門」とも呼ばれた。午前9時の朝日を浴び、紅葉と大手門は光り輝いて見える。
紅葉かつ散る(H29,11)

石垣に紅葉かつ散る古城かな

11月7日(火)小諸懐古園に行った。朝早く行ったが空気が澄んでとても気持ちが良かった。小諸城の起こりは、長亨元年(1487)に、信濃守護小笠原氏の流れをくむ大井光忠が、現在の大手門北側に築いた鍋蓋城であると言われている。天文23年(1554)佐久地方を制圧した武田晴信(のちの信玄)が小諸城を拡張整備し、天正19年(1591)に小諸城に入った仙石秀久による大改造を経て現在の姿の小諸城が出来上がった。元禄15年(1702)越後の牧野康重が入り、明治維新まで牧野氏の居城。維新後は廃城処分。荒廃していく小諸城を憂えた旧小諸藩士が資金を集めて小諸城を払い受け、本丸跡に神社を祀り、花木を植えて公園にし「懐古園」と命名した。

この様な歴史をひもとくと、旧小諸藩士のご苦労と、その心のふる里とも言えるお城への愛着を感じないわけにはいかない。その古城の石垣にただ紅葉が素晴らしい色を輝かせながら散っている・・・・・・。

2017.11.09 紅葉浅間
立冬の浅間山(H29,117)

装ほひて裾を広げし浅間山

11月7日(火)お休みをとり久しぶりに家内とドライブを楽しんだ。懐古園の紅葉を楽しみ軽井沢経由で帰宅したが、18号線沿いにある丸山珈琲・平原小諸店に寄った。家内推奨のお店であった。なるほど、ゆったりしていて珈琲がとても美味しい。しかも、そこからの浅間山がとても素晴らしいのである。山裾が紅葉でとても綺麗だったし、「これが浅間山」 なのだとも感じた。
「秋晴の浅間見上げて主客あり」(虚子)を想起させられた。「人ゝに更に紫苑に名残あり」(虚子)もあるが、成程と感ずる。俳人虚子は昭和19年9月4日から足掛け4年間、戦火を避け、小諸に疎開していた。
旧師・前田普羅「春寒浅間山」は、美しい日本の野山を詠った普羅の代表的句集である。「春星や女性浅間は夜も寝ねず」(普羅)等ゝ、素晴らしい句ばかりである。 彼は殊に浅間山を愛したようである。「能登蒼し」「飛騨紬」を加えて3部作。
私は、浅間山の良いところは、ゆったりした紅葉の季節ではないかとも思うが、違った季節にはまたそれぞれの浅間山がある。
いずれにしろ、こんな浅間山を毎日見れる人達が羨ましい・・・・。


2017.11.09 雪山
雪山(台湾、H29,11)

雪山(せつざん)にいるとの知らせ立冬に

スキ―クラブの先輩から、台湾第二の高峰「雪山」(3,886m)に入るとの知らせが立冬に舞いこんで来た。初滑りを蓼科で行う行事に参加したいとのことであったが、皆さん実にお元気である。
2017.11.09 大日岳の夕日
夕日の大日岳(H29,11,7)

冠雪の神の座鎮む夕日かな

北アルプス北部、立山連峰の剱午前で主稜線から別れ、西に延びる大日尾根の西端にそびえる霊山。立山信仰の芦峅寺から剱岳(古くは「たちやま」と呼ばれた)を振り仰ぐと、その前にすくっと立ちはだかる姿は、大日如来の聖地に相応しい霊気をはらんでいる。山頂の標高は2,501mである。古くから信仰の山として親しまれる大日岳。高山植物も多く、剱岳の眺望も素晴らしいが、登山者はそれほど多くなく、基本的に静かな山でもある。
冠雪の大日岳に夕日がさし美しい。神仏習合そのものと言えるが、夕日が鎮める大日岳。



2017.11.05 街落ち着く
街の紅葉(H29,11)

紅葉して街が落ち着く朝(あした)かな

今朝6時45分頃の前橋市である。浅間山の写真を撮ろうと、市内の利根川沿いに行った帰り、街の落ち着きをみて思わずシャッターを切った。残念にも浅間山は雲か霧に阻まれ見えなかったが、何故か街の落ち着きで、我が心も落ち着いた。
「1枚の紅葉かつ散る静かさよ」(虚子)に通ずる感じかもしれない。アメリカはなみずきの紅葉である。
2017.11.05 後の月
十三夜(2017,11,1)

賜はりし命の重さ後の月

陰暦で9月13日の夜のことを指し、この日は月見をする習慣があって「後の月」とも言われている。いくつか由来があるが、「躬恒集(みつねしゅう)」に醍醐天皇が919年に清涼殿で月見の宴を9月13日夜したと記載がされてあり、その記録が「十三夜」が始まった最初だろうと言われています。木曾の痩せもまだなほらぬに後の月(芭蕉)、後の月つくねんとして庵にあり(子規)の句もある。
お供えものから、「栗名月」「豆名月」ともいわれる。 9月に68歳にして孫を授かった。その命の重さを感じ感謝している。

小生も当日、ゴルフの帰りに高崎市「微笑庵」に寄って、団子&あずき、「こうえつ(栗入り)」、「くりまろげ」、「雅」 と和菓子を何種類も買った。水曜日は定休日なのだが、十三夜ということで開いたと言われたのが嬉しい。粋な店ではある!!
歳時菓として旬に出す和菓子は最高で「ちごもち」は絶品!!、「名残りの雪」も素晴らしい。

平成二九年(2017)の十三夜は十一月一日。当日は我が家の庭から写真をとったが、美しい月であった・・・・・・。
2017.11.05 大日岳
大日岳(H29,11)

考詠みし南無大日岳や雪冠る (こうよみし なむだいにちや ゆきかむる)

室堂からの冠雪の大日岳である。何ともいえないくらい素晴らしい!! 大日岳を見ると、亡父のこと、冨山高校への通学列車等々、とにかく故郷のことを思わずにはいられない。 
須田、有難う!!

「考」とは亡父の意味。「南無阿弥陀仏」とは阿弥陀仏に対し敬礼するという意。6字から成るので、これを六字名号(みょうごう)と称するが、おなじ阿弥陀仏に対する帰依を表した「南無不可思議光如来」を、九字名号、ほか十字名号もある。
「雪冠る南無大日岳の偉容かな」(白樺)の短冊を奥座敷に飾ってあるが、私の亡父の句である。





2017.11.05 室堂道標
室堂への道標(H29,11)

雪の立山(たち)何を語るや道標

 先日岳友の須田(さん)から頂いた写真である。山に入ると道標が結構いたる処にある。それぞれ思い出深いが、私には室堂への道標(みちしるべ)は、何かを暗示しているようで、もしくは、青春のはちきれそうな元気さ、そしてほろ苦さまでをも思い起こさせる、いわば特別な存在である。室堂で知り合った掛けがえのない仲間達。
立山には既に雪が積っている・・・・・・。

2017.11.03 古刹の塔
大岩不動三重塔(H229,10)

暮の秋心に古刹の塔ありて

もう11月になった。今年、故郷で見た大岩不動・三重の塔が何故か思い起こされてならない。家内の友人が突然、交通事故に遭い、亡くなったからであろうか?そういえば、もう暮の秋と言って良い季節である。
2017.11.03 立山冠雪
冠雪の立山(H29,11)

嬉しきは立山(たち)冠雪の知らせかな

故郷の立山は室堂で知り合ってから、はや五十年経つ岳友から、立山の写真が届いた。
何よりも嬉しい知らせであり、写真であった。春から秋にかけ、天候に恵まれれば、健康の為にも、たまに山に登る為にも、週2回のゴルフを自らに課して来たが、10月に入り雨の中でもせざるを得ない状況になり、些か健康を害し(風邪気味)まいっていた時であった。
大好きな立山、冠雪の立山の写真には、大変勇気づけられた。感謝あるのみである。