どんと焼き(H31,1,14)

甘酒と炎を愛でしどんと焼き

1月14日(月)朝9時、我が町内会は平成最後のどんと焼きを始めた。何時に無く寒さが厳しい朝であったが、なんと言っても、甘酒がサービスで配られるので暖まる。また、蒼空に炎が綺麗でもある。

お正月飾りや門松やしめ縄それに書き初めなどを、火にくべて焼き払う日本の伝統行事である。お正月に天から下りてきた歳神樣は、どんど焼きの煙に乗って天に帰るとされ、それを見送りする為に行われると言われている。

すれ違ふ人にどんどの火の匂(佐々木須美子)、どんどして雪汚しゝが清かりき(細見綾子)等あり。

2019.01.15 初覛空
玄関の花(H31,1)

初御空煌めく浅間指呼の間に

平成最後の新年(平成31年)の空を楽しみ、我が家の玄関に戻ると、家内が活けた花が飾ってあった。新年だからというわけではない証拠に彼女の好きな百合の花も活けてある。今年も素晴らしい年になりますよう祈念したいものである。

もう前橋に住んで長くなった。昭和61年に縁あって群馬支店配属になったのがきっかけであるが、その後、勤務先は大宮、赤坂が長い。しかし、東京から帰って来てからも随分長くなったような気がする。我が家の門の前から、浅間山がそれこそ指呼の間と感ずるのである。

2019.01.15 掛軸の富士
奥座敷(H31,1)

淑気満つ富士の掛軸奥座敷

年末に年用意の一つとして、掛軸を「日々是好日」から「白富士」に変えた。やはり我が家の奥座敷も正月らしい雰囲気となり、淑気が新年早々から満ち溢れた奥座敷となった。ぴりっと引き締まった我が家と感ずる。

「立山ヶ根や碁どころにして冬篭り」(山元白樺)の飾り皿が見える。今は亡き父・白樺の作品である。

2019.01.15 玄関の欄
玄関の欄(H31,1)

鳴く声で目覚め促す初雀

我が家の庭には蹲の水が目当てなのか、庭の木々とか花が目当てなのか、雀をはじめ多くの鳥が集まる。特に朝は雀の鳴く声でおこされる。自然の中の生活とはこんなものであろうか。なかなか快適で捨て難い。

あさくさの雷門の初雀(今井杏太郎)、いつ来ても嵯峨野は蒼し初雀(黒瀬としゑ)等あり。

2019.01.15 初明り
玄関にて(H31,1,1)

生かされし命寿ぐ初明り

新しき年の朝の光りを浴び、つくづく、人間は自らの意志とは関係なく、なにかによって生かされているのではないかと感ずる。我が家の玄関を潜った畏友のN氏も、既に亡くなって久しいが、私にはまだこの世の中に貢献すべき何かがあって命があるのかなぁと考える様になってきた。最近、よく彼の事を懐かしく思う。玄関の御影石は、福島滝根から切り出し運んで頂いたものである。

初明りそのまま命明りかな(能村登四郎)、八ケ岳まづ一峰の初明り(宇都木水晶花)等あり。

高崎観音初詣(H31,1,7)

護摩を焚き祈るひと時初詣

護摩は炎の神秘を感じる真言密教の修法である。今朝は仕事初めに当たり、「慈眼院」で護摩を焚いてもらい、恒例の新年のご挨拶と社業の発展を祈った。高崎白衣大観音も当然お参りをし、安全祈願もさせて頂いた。

慈眼院は鎌倉中期に執権北条義時三男、相州極楽寺入道重時により創建されたと言われている。寺記によると、元禄時火災により炎上、過去帳、古文書などことごとく焼失したが、明治までは高野山の学門寺として栄えて、多くの人々に学問を教えて日本文化の発展に貢献した。昭和11年、高崎の実業家井上保三郎翁が当時の混迷した思想界に一つの光明を点じ、観音山頂上に白衣大観音を建立。慈眼院は昭和16年に高野山別格本山として高崎観音山に移転しした。

玉砂利の休みなき音初詣(保坂加津夫)、みたらしの四方にあふれて初詣(鷹羽狩行)がある。

初詣(H31,1)

それぞれの夢を重ねし初詣

平成最後の年が明けた。とてつもない良いお天気になったが、平成最後の年と考えると何となく時代の流れを感ずるのである。横浜に住む長女、フランスに住む次女も、それぞれに将来に対する夢や希望がある。私どもはそれにできるだけサポートできるならと考えている。

上野の國五百四十九社の総社である前橋市総社町・上野総社神社に初詣に行くのは我が家の恒例となっている。今年も良き年でありますよう祈念するばかりである。日本がここに集まる初詣(誓子)、日の歩み人の歩みや初詣(朱鳥)などがある。