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2019.04.29
ハナミズキ

心には晴れやかなものハナミズキ
伊勢神宮のお参りを終えて、心には伸びやかなるものがある。前橋へ帰り、日課の散歩をしていると、実に綺麗なハナミズキが蒼空に拡がっていた。清々しい気分で毎日を過ごせることに感謝。
2019.04.29
感謝の記帳

次の世も明るき御世に春の星
4月18日両陛下が伊勢神宮にお参りをされた。テレビニュースには涙を流しておられた方が幾人もでて来た。国民に寄り添い、国民の幸せを心から祈って来られた両陛下のお姿は尊いものがある。心から感謝の意を表したい。
ということで、平成31年4月20日(土)、感謝の記帳をさせて頂いた。
「元日や神代のことも思はるる」(荒木田守武)、「日本がここに集る初詣」(山口誓子)を思い出しながら、おかげ横丁の山口誓子俳句館でお抹茶を頂き、伊勢を後にした。
2019.04.29
伊勢神宮内宮(H31)

春暁の杜に幽かな瀬音かな
伊勢神宮は何度目であろうか。4月20日(土)、今回も外宮、内宮とお参りさせて貰った。また生まれて初めてご朱印も頂いた。平成の最後であるし、「令和」が5月1日からはじまるからかもしれない。
「何事のおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」(西行)、「何の木の花とはしらずにほひかな」(芭蕉)を思う。
2019.04.29
本丸御殿

襖絵に往時を偲ぶ春の午後
近世城郭御殿の最高傑作「名古屋城本丸御殿」が完成公開されている。名古屋城本丸御殿は、天守閣とともに国宝に指定され、屈指の名城としてしられていたが、空襲により全てを焼失した。「尾張名古屋は城で持つ」と歌われているが、確かに素晴らしい。
豪華絢爛たる本丸御殿の素晴らしさは、柱はもちろん床板や障子の桟にいたるまで、ヒノキをはじめとする貴重な木材を用いているからである。飾金具や障壁画復元模写も職人や絵師が心を込めて作成したのであろう。
確かに、「尾張名古屋は城で持つ」である。
2019.04.29
名古屋城

朧なる日差しも過去の夢のせて
徳川家康の命で1610(慶長15)年に築城開始。2年後に5層5階、石垣上の高さ約36mの天守が完成した。金の鯱で有名だが、現在河村市長が天守の木造化をめぐり尽力されてるという。何かと話題の多い昨今だ。
城そのものは、朧の日差しに包まれ、過去の城主の夢を表しているようだ。平成31年4月19日(金)、平成の御世に生きる私には、幾多の歴史的事実を思うにつけ、感慨ひとしおである。
2019.04.29
熱田神宮

春の夢歴史をたどる信長塀
名古屋の主要観光地、「熱田神宮」はパワースポットとしても知られている。日本国内でも格式の高い神社の一つである。ただ、私には、織田信長が桶狭間の戦いに行く時、ここで戦勝祈願をし、勝った後、熱田神宮に寄進した築地塀が残っていることが印象に残っている。4月19日(金)は夢多き少年時代に一瞬戻った、そんなひと時ではあった。
三種の神器の一つである「草薙剱」を御神体とする神社である。
2019.04.27
近所の桜

蒼空に浮立つごとき桜かな
真っ青な空に浮きあがる様に桜が満開の花を咲かせている。理屈抜きに美しい。風生の句の枝垂れと根本的に違うのは、桜の種類なのだろうか。浮かびあがらんばかりの美しい桜であった。
千葉県市川市の弘法寺(ぐぼうじ)の枝垂れ桜を詠んだ 「まさをなる空よりしだれざくらかな」(風生)の句があるが、高々と聳えている枝垂れがまさに、「空よりふってくる」 美しい躍動感が感じられる。名句と言えよう。
桜には名句がある。それだけ感動を呼ぶ花なのであろう。その美しさは日本人の精神文化のよりどころかもしれない。
2019.04.27
菊桃の花

菊桃の花鮮やかに咲くあした
縮景園の入り口の近くに、長女の家の(日吉)近くに見事に咲いていた花が、それこそ鮮やかに咲いていた。早朝の目を覚ましてくれているようだ。「菊桃」と書いてあった。
なるほどとうなずくばかりであったが、とにかく美しいものを見れるのは幸せだ。「広島焼き」と「牡蠣」、「あなご」ばかりでなく、広島には美しい花が咲き乱れていた。
2019.04.27
縮景園と桜

花と雲水面に置きし静けさに
縮景園の素晴らしさは静かさなのではないだろうか。広島城からも近く、広島駅からも徒歩で15分前後の街の中なのにである。
縮景園は、中国の西湖を縮景したとも伝えられている。濯纓池を中心に茶室や橋が美しく配され、周囲には小高い山や渓谷まである。また桜やツツジが美しい。
2019.04.27
広島縮景園

花舞ふや茶人の心の深さにも
縮景園は広島城主浅野長晟が、元和6年から別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇である。広島市内の中心部に位置し、現代のまちなみに拡がる四季折々の自然豊かな庭園は素晴らしいものがある。
広島市民は幸せである。これだけの庭園を持っている町・・・・・何か余裕を感じさせる。
2019.04.27
広島城と桜

桜舞ふ水面に揺れし天守閣
広島城を久しぶりに見た。戦争で焼けおちたが、町の復興のシンボルなのであろう。とにかく桜が利いて、美しい眺めをたっぷりと味わった。この町には桜がとても似合う。
安芸の国となると毛利家、毛利輝元の時代、天正19年(1591)~慶長5年(1600)を思うが、関ヶ原の戦いの後、福島正則の時代、慶長5年(1600)~元和5年(1619)があり、そして浅野長晟(ながあきら)元和5年~寛永9年(1632)の時代、以後浅野家の治政が明治2年(1869)の藩籍奉還まで続く。
昨晩は広島本通りを歩き楽しんだ。この町は国際平和文化都市として、路面電車、市内のバスの便が素晴らしく、広域型商店街はまことに立派なものがある。休日には約10万人の人通りがある中四国一の商店街とのこと。平和公園と繁華街を結ぶ東西577mの通りには約200の商店が立ち並ぶ。広島城を築城する際に、城下の中心部を横断していた西国街道が始まりとされ、創業100年以上の老舗が多いのも特徴とか。
2019.04.27
原爆ドーム

春風に原爆ドーム和みをり
「八月や六日九日十五日」は永六輔がラジオで紹介した句。平和の尊さを思う。当初作者不詳ということであったが、現在ネットでは荻原枯石(おぎわらこせき)となっている。春の風の様に穏やかな日々が続いて欲しいものである。。
元安川沿いの径を「灯和の径」(とわのみち)と呼んでいるようだ。異国の観光客が多いのには驚いた。人類史上初の原子爆弾による大破、全焼・・・・・・・。被爆の惨禍を思うと胸が痛む。有史以来ずっと戦争が絶えない。人類は進歩しているのだろうか?
2019.04.26
岩惣の鹿

神鹿の忍びし庭や花の雨
4月10日の朝、「岩惣」の庭に鹿が現れた。宮島の雰囲気そのものが「岩惣」と思われるが、鹿が現れたのには正直びっくりした。それだけ宮島の風光に溶け込んだ宿なのだが・・・・・。そういえば「神鹿の啼く声宿は紅葉冷へ」(橋本美代子)の句があった。
あとで宮島口で見たが、野生の鹿なので、桜の花びらが落ちていたのを食していた。自然そのままの宮島なのである。
2019.04.26
岩惣の庭

新緑の庭に溢るる宿にいて
私は日本式旅館が大好きである。ただ日本式というのでなく、どこかに日本の美意識がさらりと置いてあったりすると、旅館に泊まったことがうれしくなるタイプなのである。この「岩惣」はそんな旅館であり、いつか家内を連れて泊まりたいと思っていた。
成り立ちは、安政5年(1854年)、初代・岩国屋惣兵衛は奉行所より開拓の許可を受け、現旅館の前のもみじ川に橋をかけて、渓流に茶屋を設けて道行く人々の憩いの場とした。それが「みやじまの宿 岩惣」の始まり。明治初期に旅館として開業。現在では、島内でも珍しい天然温泉を引き、国立公園に佇む旅館として多くの人に愛されている。
行く春や経納めにと厳島(夏目漱石)、聞きもせず語りもせずの紅葉かな(戸川幸夫)、我が願いやうやく足りて・・・・・・(斉藤茂吉)の歌もあったような・・・・。
気配りが素適な、好きな旅館の一つである。
2019.04.26
大講堂と桜

講堂に歴史を偲ぶ花の雨
宮島の厳島神社横の坂道を登ると講堂がある。豊臣秀吉が源平合戦の死者の霊を弔う為に建てた講堂と言われている。建物の中は畳千畳が敷ける広さで、千畳敷講堂と言う。未完成の建物だが、風雨にさらされていても今なお凛として建っている姿に感動する。
以前来た時は暑い時期で、千畳敷で涼んだ記憶がある。素晴らしかったし、助かった覚えだけが残っている。それに比較し、今回の講堂は、雨のなか健気に咲く桜がなんとも言えず素適で、実に余情が深い。歴史を偲びながら、ゆっくり廻らせていただいた。
2019.04.26
大鳥居を前にして

ひたひたと鳥居潜りし春の波
昨晩からの雨も小降りになりはしたが、なんとなく肌寒い厳島神社。だけれども、潮が満ちてとても美しい。家内は初めての宮島だと言っていたが満足してくれたと思う。今朝は最高のヴューポイントで写真を撮ることができた。
2019.04.26
満潮の大鳥居

春の潮赤き鳥居も浮かぶごと
朝一で厳島神社に行った。満ち潮のお陰で大鳥居も海に浮かんでいた。実に生まれて初めて見る大鳥居の美しい景色・・・・。
仕事の合間に見る宮島の景色とはひと味もふた味も違う景色であった。「ひたひたと春の潮うつ鳥居かな」(碧梧桐)を思う。
2019.04.26
厳島神社大鳥居

花の雨満潮を待つ大鳥居
6月から大鳥居の修理がはじまるので、暫く見れないという情報がはいり、急遽安芸の宮島を訪れた。仲居さんにいわれ、夕食後、厳島神社の夜景を見に行った。あいにく雨の中であったが、花が散って来て、満潮を待つ大鳥居がライトアップされ、なかなかの風情であった。
びっくりしたのは欧州の方が非常に多く、日本人がほとんどいなかったことである。平成31年4月9日(火)平成最後の月の平日の夜ではあったが・・・・・。平清盛もびっくりというところである。
世界遺産というだけの夕景色であった。日本は素晴らしい。
2019.04.26
櫻と長女の家族

桜咲く長女家族の笑顔にも
「さまざまのこと思い出す桜かな」(芭蕉)の句が頭から離れないが、「この子の将来に幸あれ」と祈る桜の下の出来事である。
みな笑顔がとても素適な写真となった。
確か、「世の中にたえて櫻のなかりせば 春の心はのどけからまし」は在原業平であったろうか。これも真実である。これには返歌がある。「散ればこそ いとど櫻はめでたけれ 憂き世になにかひさしかるべき」という歌である。 この名もない歌人の返歌こそ、「日本人にとっての桜」を象徴した歌であると感じるのは私だけであろうか?
ある本によれば、武士道は桜であり、騎士道は薔薇であると例えられる様に、多くの日本人にとって、華麗に咲き続け花弁を残して枯れゆく薔薇よりも、美しいまま散りゆく桜の方が美しく映るのだろう。
桜の花を見ていると、様々のことを思ってしまう・・・・・・・。
2019.04.26
た―ちゃんと櫻

花咲くや勝るものなき子の笑顔
日本で一番美しい花は・・・・・。 「花は桜木男は武士」 とは昔からよく言われて来た。花では桜の花が最も美しく、人はパッと散る桜の花のように、死に際の潔く美しい武士が最も優れているといった言葉。しかし、子供には未来がある。その笑顔はなにものにも変え難い純粋な笑顔である。そんなことを思いながら、シャッターをきった。
2019.04.26
宇宙櫻(そらさくら)

復興のシンボルたれや宇宙(そら)櫻
2008年に若田宇宙飛行士と一緒に約8ヵ月間の宇宙旅行してきた日本古来の14種の桜の種である。宇宙旅行の後は、それぞれの種を提供した地域に返還され、大切に育てられている。残酷な宇宙環境を生き抜いて初芽・開花した強い生命力を持つ事から「復活・復興・希望」のシンボルとされているわけである。
宇宙神代桜に稀に現れる7弁花と6弁花。宇宙線を浴びた為、通常あり得ない様な急成長や突然変異を起こす事も有り、この宇宙神代桜の母桜も普通の6倍の早さで成長し、元々5枚の花びらが6枚や7枚のものが現れる様になった。
本日は美しく咲く宇宙(そら)櫻である。
2019.04.26
山高神代桜 Ⅱ

咲く花に何か問ひたき大樹かな
巨樹と言っていいだろう二千年の古い樹に、心がざわめく。遥か昔の記憶を聞いてみたいものである。圧倒的な存在感をひしひしと感じさせる「山高神代桜」である。
この樹を前にすると、言葉は無力である。
2019.04.26
山高神代桜

桜咲く二千余年の夢のせて
樹齢二千年と言われる「山高神代桜」を、実際に見てみると何とも言い難い感動に直面する。昨年暮れ、実年齢で古希を迎えたが、比較できない年輪に圧倒されるのである。涙を流しておられる人を目の当たりにしてもむベなるかなと思う。
2019.04.26
花の寺

彼方には甲斐駒ケ岳花の寺
今月の5日、山梨県北杜市の実相寺へ早起きして行った来た。水仙が咲き乱れ、その奥にまだ雪を頂いた甲斐駒ケ岳が聳えていた。なんとも素晴らしい春暁の景色で、暫く言葉がでなかった。実相時は桜が満開であった。
俳句の師、前田普羅の名句、「駒ケ岳凍てて巌を落としけり」 の季節ではなく、春の甲斐駒ケ岳であったが、なんとも素晴らしかった。
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