白衣観音(R2,1,6)

陽もさしてまことうるわし仏かな

令和二年1月六日、高崎百衣観音に初詣に行った。今年も快晴の空のなか、観音のお顔にも陽が射し始めた。何ともいえずその麗しい御姿に見入ったものである。平和で安全安心の日々が続くよう祈念したい。

「大雪となりて今日よりお正月」(前田普羅)の句があるが、温暖化のせいか全くそんな感じがしない素晴らしいお天気ではある。山の大好きな私は、下記の句が頭から離れない。「連嶺に礼して年の改まる」(福田蓼汀)。

2020.01.19 雑煮(令和)
御雑煮(R2,1,1)

今年も故郷の味てふ雑煮かな

我が故郷・冨山の味付け等をした雑煮を、今年もまた頂くことができた。母の味に近いものは安心感がある。新しい年、ことに令和二年の正月は平平凡凡と明け、大変嬉しい。

相変わらず左手は思う様に上がらないが、漸く昨年十月頃からゴルフも出来る様になった。何より寝返りが自由に出来ることはとても嬉しいことであった。当り前に思えることが、当り前に出来ることはとてもハッピーなことなのである。

ピッケル 雪の上(R1,12)

譲られしピッケルたてし雪の上

「ウイリッシュ」の三代目を年末に譲られ入手したが、なんとか雪の上に立てることが出来た。「左肩腱板断裂」の怪我のせいで、初滑りの八ケ岳にはスキーを持っていく事が出来ず、湯治ということにして貰ったが、ピッケルは車に積んでいく事が出来た。

山仲間のS氏の希望である「実際に使用しないと可哀そうだ」、という気持ちは良く分かる。使ってこその山の道具である。しかもとても美しい!!取りあえず、雪の上にかざしたくて持ってきたものだ。何時の日か私の命を守ってくれるのではないかとも思う。

美しいピッケルを見ながらの八ケ岳の帰りであった。

夕暮れの浅間山(R1,12)

年の果て夕暮れせまる浅間山

令和元年も押し迫り、師走も終わろうかという年の果ての美しい浅間山である。やはり浅間山は雪を頂いた姿が美しい!!旧師前田普羅はこんな姿の浅間山を見た事があったのであろうか・・・。

ふとしたることにあはてゝ年の暮(虚子)、人間の行く末おもふ年の暮(松瀬青々)があるが、年の暮は慌ただしいだけに本音がでる。
それにしても、浅間山が身近に感じられる今日この頃ではある。

総社神社初詣(R2,1,1)

初茜ただ畏みて手を合はす

令和2年の正月もあっという間に明けた。大いなる自然の営みについていくだけであるが、総社神社の空の色も蒼さが際立っている。人間はただ大自然に手を合わせ、今年1年の安寧を祈るだけである。平和な一年であるように、災害の無い1年であるように、健康な状態で1年を過ごせますように、幸せを感じれる1年でありますように・・・・・。

日本がここに集る初詣(誓子)、恵まれし寿をかしこみて初詣(風生)もあるが、戦火なき世のとはにあれ初詣(上田正久目)、拝むこと孫に教へる初詣(久保田重之)の句も印象に残っている。平和を願い、拝むことを子や孫に教えるべきだとも思うからである。年を重ねるといろいろな事を思う、そんなお正月である。

素晴らしいお天気に恵まれた令和2年1月元旦である。