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2021.03.21
大根の花

ほっこりと心に故郷(くに)を花大根
散歩をしていたら大根が放置され花が咲いていた。とても不思議な光景ではある。
思い出してみると、小さい頃、母が畑をしていた。なのに私はほとんど手伝った記憶が無い。好きなことしかやって来なかったのであろう。農業のことを知らない訳である。
70歳を過ぎたからであろうか、それとも故郷をでてからはや半世紀(54年)経ったからであろうか、散歩をしていて、今は亡き母を思いだしたりもする。もう少し、お手伝いなぞしておけば・・・・・と思う時がある。
「大原や日和定まる花大根」(蛇笏)、「海鳴るや長谷は菜の花花大根」(芥川龍之介)、「大根の花紫野大徳寺」(虚子)、「末寺こそ心安からめ花大根」(句仏)、「大根の花ほどこころ揺れにけり」(大串 章)の句がある。たいしたものである。
2021.03.21
チュ―リップ

ゆったりと陽を浴び並ぶチューリップ
今月は眼の手術が2回あり、自然体とはいえ部分麻酔の為、手術中は些か心配もし、手術後はきちんと対応しながら過ごした。まだ感染症の予防の為、毎日6回、4種類の眼薬をささねばならず、健康な人が羨ましい毎日である。
そんな中、頂いたチューリップが見事に花を咲かせ、それこそ癒やしの時間を与えてくれた。そのうち、チュウリップ祭りというか、本場・冨山県砺波市の景色を見てみたいと思っている。先ずは眼を治すことに尽きる。
誰もが聴いたことのあるメンデルスゾーンの「春の歌」でも聴くことにする。
2021.03.21
門前のチューリップ

故郷の景色にも似てチューリップ
昨年の秋、第2句集「春星」を上梓した時、我が故郷、冨山県、砺波市在住の辛夷同人「Fさんはじめ6人の方」からチューリップの球根を頂いた。花が咲き、それこそ故郷を感じさせて頂き感謝している。
家内がプランターに植え、3月に見事に咲いたものである。写真をとる為、門の前に集めてみた。黄色の花が先ず咲き、紫色、赤と続いた。冨山ならバックの景色は当然立山連峰であろう。我が家の門からは浅間山が見える。旧師前田普羅の「春寒浅間山」を思う。
「チューリップ喜びだけを持ってゐる」(細見綾子)がある。上手な句である。きっと心が豊かなのであろう。
2021.03.20
ブージバルの桜

花舞ふや眼帯かけし我が目にも
パリ郊外のブージバルに咲いた桜の花である。次女から送られて来た。寒いフランスにしては開花が早い感じがする。かくいう小生の今月・3月は、「目の手術」で厳しい日々ではある。しかし、3月10日の右目の手術。3月17日の左目の手術とも成功し、眼帯がとれた日の嬉しさは格別であった。
桜の花といえば、西行の和歌を思う。「願はくば 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」(西行)、「仏には 桜の花をたてまつれ わが後のを世を 人弔はば」(西行)。彼は、桜の花を愛し、桜の哥を詠み、数多くの秀歌を残している。また業平も良い。「世の中に 絶えて 桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」(在原業平)。他にも数々の名歌がある。「ここにさへ 嘸(さぞ)な吉野は花盛り」(吉野太夫)もある。吉野の桜を見に行った頃を思い出す。まさに、「さまざまのこと思ひだす桜かな」(芭蕉)である。
「京に住む人をうらやむ花のころ」(誠)の句を詠んだ頃が懐かしい。また、大好きな桜の花を、眼帯の中の心の目だけでなく、実際に見ることができ、本当に幸せである。
2021.03.14
風信子(ヒヤシンス)

和らぎし土に映えたるヒヤシンス(風信子)
3月も中旬になるといろいろなものが和らぎ、土の色までが春らしくなってくる。その土に鮮明にヒヤシンスが咲いているのが分かる。右目の手術後まだ4日目なので保護グラスをかけているが、それでもくっきりとした色は選別できる。
不思議な事に手術した右目が1,1まで見え、正常な左目は0,1なのでアンバランス極まれりといったところか・・・。本が読めなく、テレビも集中できず、先日コルチナ・ダンペッツォで行われた世界選手権(アルペン・スキー)を見てなんとか気晴らしをしている。目のバランスがとれないのは如何ともし難いものだ。
こういう時は音楽しかない。ヘレン・フイッシャーの「ハレルヤ」「アヴェ・マリア」等等、「ギブ・サンクス」はJanella.Salvador、横山レナの「ガブリエルのオーボエ」(クレモナ)、グノ―のアヴェ・マリアも良い。
「ヒヤシンス束ねて胸に光置く」(仙田洋子)、「ヒヤシンス高きを渡る風に和す」(有馬朗人)の句もある。
2021.03.14
水仙の花

水仙の花あざやかにたちならぶ
水仙は俳句では晩冬の季語なっている。そういえばかなり寒い季節にも関わらず我々の目を楽しませてくれる。この写真は所謂ラッパ水仙とも巷で言われている水仙であろうか。とてもくっきりとした花の色ではある。
「其のにほひ桃より白し水仙花」(芭蕉)、「水仙の香やこぼれても雪の上」(千代女)の句もある。ラッパ水仙は香りがしないけど・・・・。通常の水仙は香りも楽しめるのであろう。
2021.03.14
ミツマタの春

三椏の花宙(そら)に浮くやすらぎも
三椏はジンチョウゲ科の落葉低木。中国原産。三又に分かれた枝の先に黄色い花が咲く。皮は紙の原料になる。毎朝の滝川沿いの散歩道、東小学高の校庭の傍に咲いていた。あぁ~春なんだなあと実感する瞬間である。心に安らぎを覚えた。今は白内障の手術の後で右目が見える様になったら、左目とピントが合わず難儀している。そんな私には、優しい春を感じさせる花と思える。
「三椏や皆首垂れて花盛り」(普羅)、「三椏のはなやぎ咲けるうららかな」(芝不器男)の句なども思い出しつつ散歩を続けた。
2021.03.14
タ―ちゃんの祭日

長閑さや恐竜と居る昼下がり
タ―ちゃんにとって現在の関心事は「恐竜」であろう。春の日ののんびりとした昼下がり。日も長くなり、時間も緩やかに過ぎる様に感ずる。そんな日のタ―ちゃんの顔は何ともいえない程幸せそうである。写真を見ている小生の方がさらに幸せかも・・・・。
「長閑さや浅間けぶりの昼の月」(一茶)、「長閑さや風がねじ巻く花時計」(望月和子)のような句を思いつつ、つくづく春は良いなぁと思う。
2021.03.07
タ―ちゃんの休日

眼差しに好奇心あり春うらら
タ―ちゃんはもう3年と5カ月?になっただろうか? 好奇心のかたまりというか、眼差しがとても強い。横浜カップヌードルミュージアムに行った時の写真もまさにそうである。横浜みなとみらいに年間百万人が訪れる人気スポットがあると言われているが・・・・。
春麗という言葉がぴったりする春の午後のひとこまである。春の晴れた日、太陽が明るく照り、それを浴びて万物が輝いているさまをいう季語がぴったり。タ―ちゃんの未来に幸あれと願わずにはいられない!!
2021.03.07
仏の座(R3,3,7)

かたまりて神社彩る仏の座
春の七草のひとつ。野原や田畑に自生する。葉が仏の蓮華座に似ていることからこの名がついた。今朝の散歩にいって気付いたのだが、近所の飯玉神社の前にびっしりと仏の座が咲いていた。大欅も見える。何か幸せな気分になったことは事実。
「希望とは地に這ふ姿仏の座」(廣島泰三)の句があるが、今日は納得できる。煌めく春の日差しのせいだろうか。
2021.03.07
桃の花(R3,3,7)

あるがまま受け容れこころ桃の花
蒼い空に桃の花が咲くようになった。何故か、桃の花には春の訪れを感じさせるものがある。節句は、中国の暦法で定められている「季節の変り目」のこと。昔は奇数の数字が重なる月には、よくないことが起きると考えられていたことから、その邪気払いの意味を込めて宴会をするようになった。その日が1月1日、3月3日、5月5日、9月9日。中国では桃の木に邪気払いの効果があると言われ、この為桃の節句に日に桃の花を飾ったという。また、桃の花のお酒を飲む風習もあった。
今月は眼の手術を2回受ける。昨年末の右足薬指骨折が完治したら、直ぐに目の手術をしなければならなくなった。嘆くより、早く手術を受け、完治を目指すしかない。自然体で手術を受けようと思う。
「ふだん着でふだんの心桃の花」(細見綾子)の句がある。かくありたい。
2021.03.07
沈丁花(R3,3,3)

沈丁花春を運びし路地の奥
その甘く爽やかな香りとともに、春の訪れを知らせてくれる花木の一つ。日本で古くから親しまれてきた存在だが、実は中国やヒマラヤが原産だとか。室町時代の中期頃に日本に渡って来た。花言葉には「栄光」「勝利」がある。
毎日家内と散歩しているが、本当に春の訪れを知らせてくれる花である。思わず路地の奥にまで足を延ばさせる力がある。春を運んで来たのだろう。
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