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2021.04.07
花舞ふ中の二人

人の背に舞ふ花一片また一片
花を愛する人の背に、一片また一片と舞うように降る櫻。今年も素晴らしい花を咲かせてくれてありがとうと言いたい。いったいいつから、櫻はこのように人々に愛でられ、美しく咲く様になったのだろう。少なくとも万葉集の時代は梅の花を詠んだ。古今和歌集の頃からだとも思うが、とにかく日本人に愛される花である。
世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)「古今和歌集」を思う。久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ(紀友則)「古今和歌集」をも思う。しき嶋のやまとごころを人とはば朝日ににほふ山さくら花(本居宣長)もなかなか良い。桜の花はとても語り尽くせない。
見るからに愛らしいタ―ちゃんも、皆に愛される人間になってほしい。
2021.04.07
祇園枝垂れ桜

咲く花に桜守をも思ひをり
前橋市敷島公園には「祇園枝垂れ桜」の桜守たる6代目佐野藤右ェ門氏から寄贈を受けた祇園枝垂れの孫木がある。嬉しいことに、今年も綺麗に花を咲かせてくれた。私には特別な思いがある木である。
大学受験の浪人時代を京都で勉強し、就職してからも何かと京都へ行く機会が多く、祇園枝垂れ桜には何とも言えないものがある。東京にはない何かを京都は持っているのである。
「京に住む人をうらやむ花のころ」(誠)は40歳過ぎの頃の作だと思うが、今現在も同じ思いである。明日8日(木)から何日か京都を楽しんで来ようと思う。
2021.04.07
山高神代櫻とて

櫻咲く神代の時代(とき)を想いつつ
3月30日実相寺を訪れた。「山高神代桜」の咲くのを楽しみにしていたのでとても嬉しかった。樹齢二千年と言われているが、正に名前の通り、櫻は神代の時代を知っているのであろうか?そんな事を思いつつ眺めるのである。
少し痩せたような、小さくなったように感ずるのは私だけであろうか・・・・・。そんな感じを今年は持った。コロナ禍で昨年は訪問出来なかったのも事実である。元気であって欲しい。
2021.04.04
桜と甲斐駒ケ岳

さくら咲くかなた名山仰ぎつつ
実相寺の庭には水仙が咲き乱れ、お寺の前には桜が満開である。その上に名山、甲斐駒ケ岳が雪を残しながら聳えているのである。ほとんど絵はがきに近い写真となった。それぐらい、ただ美しい景色なのである。
「さまざまの事思ひ出すさくらかな」(芭蕉)、「夜桜やうら若き月本郷に」(波郷)、等々、さくらには名句が多い。
2021.04.04
紫のチューリップ

紫の色艶やかにチューリップ
作秋、「春星」を上梓した時に、故郷の冨山・砺波市のFさんはじめ皆様に球根を頂いた。それが見事な花を咲かせてくれた。こんなに嬉しいことはないともいえる。紫色がとても鮮やかで美しい。冨山には誇れるものがいっぱいあるが、チューリップもその一つであろう。立山連峰をバックに咲き誇るチューリップをぜひ見てみたいものである。
この前も書いたが、「チューリップ喜びだけを持ってゐる」(細見綾子)がなんといっても印象深い。明るいイメージばかりを感ずるのである。
2021.04.04
ブージバルの散歩道

春の陽に水どりあそぶブージバル
パリ郊外に次女が住んでいる。その散歩道の光景を写真で送ってくれた。本日現在では、コロナ禍でフランス全土にロックダウンがひかれている訳だが、自然はいかにも長閑な光景ではある。これがパリ郊外の春なのである。
蕪村の「春の海ひねもすのたりのたりかな」を思いだす。「野に出でて写生する春となりにけり」(子規)をも思う。
2021.04.04
たーちゃんの春

桜咲く子等の成長見守りて
3年半のタ―ちゃんの活発さは人後におちない。ちっともじっとしてないし果敢に挑戦している。ちょうどその成長を見守る様に桜が咲いているのである。やはりこんな環境を作り出している日本は素晴らしいと思う。早く大きくなれと思う。
「さくら咲きあふれて海へ雄物川」(森 澄雄)、「天地をわが宿にして桜かな」(長谷川櫂)の句がある。
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