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2021.07.04
ガラス美術館

チフ―リのガラス彫刻風薫る
亡き兄の49日法要の前日、クラウンプラザホテルから散歩がてら、冨山ガラス美術館に行った。学生が並んでいたので・・・、何か展示会でもと思ったが、疑問がすぐ晴れた。図書館がこの中に併設されてあるのである。勉強熱心な冨山の学生たちではある。また、ディル・チフ―リの作品が常設されていたのにはビックリしたが、とてもゆったりした建築物で満足した。少なくとも、冨山を見直した。
美しすぎる華麗なミュージアムかとも思われた。立山のかぶさる町や水を打つ(普羅)のイメージが強い冨山市である。冨山県美術館、冨山冨岸カナル環水公園といい、我が故郷は素晴らしいと今更ながら思った。センスの問題かとも・・・・・。
2021.07.04
雪垂れて

薫風や普羅の句学ぶ昨日今日
最近ひょっとしたことで入手した短冊。「雪垂れて落ちず学校はじまれり」(普羅)が「普羅句集」の冬の部に掲載されていたとは記憶していたが、「辛夷」6月号に彼がホトトギス初巻頭を取った時の1句だと書いてあったのにはびっくりした。いろいろ知らないことの方が多いと思う作今である。
そういえば、亡き兄の飾った額に「いつまでも人のありける月夜哉」(普羅)の句があった。彼はこの句が好きだったのであろうか?
2021.07.03
冨山県冨岸カナル環水公園

梅雨晴間運河に満つる風やさし
兄・飛鳥の49日に合せ、クラウンプラザホテルを予約し、ゆったりと冨山県冨岸運河環水公園を散歩してみた。水辺を活かした空間が実に印象的であった。まず風が心地よい。冨山にこんなところがあったとは・・・・・!?
待ち時間に、「キュイジ―ヌフランセ―ズラ・シャンス」とかいうミシュラン一つ星に認定されたというレストランに行ってみた。あいにく2階は貸し切り(結婚式)で、ガっクリ!! なんとか妥協し、1階のレストランで食事をした。今度は予約していくべきなのであろう。少なくとも、今回は冨山県美術館に印象派の絵(ポーラ美術館)が展示されていると聞き、SETで楽しむ為、来たものである。
ここでも、一回りした後、1階の屋外のテーブルに座り、コーヒーを飲みながら楽しんだ。風が心地よく、景色もなかなかであった。
こういうところで、ゆったり兄・飛鳥と話をしてみたかったとも思った。梅雨時で立山連峰は見えなかったが、心地よい風を感じることができた梅雨晴間のひと時であった。
2021.07.03
ゆったりしたたーちゃん

春なれや子もゆったりとせしタ(ゆうべ)
携帯に孫のタ―ちゃんの写真があった。こんな時には実に癒やしになり、可愛さ100倍といったところか。
厳しい冬の寒さが終り、色とりどりの花が咲き始める春。鳥たちが元気に春の訪れを歌い、春風が人々の心をも優しく包んでくれるような気持ちななる。暫く、ブログを書く気になれずシュンとしていたが、兄・飛鳥の49日も終り少しやる気になって来た。
雪解けて村いっぱいの子供かな(一茶)、チューリップ喜びだけを持っている(細見綾子)、ものの種にぎればいのちひしめける(日野草城)、眼にあてて海が透くなり桜貝(松本たかし)、バスを待ち大路の春をうたがはず(石田波郷)。
いろいろ感ずるところが多いが、取りあえず元気を出して乗り切っていくしかない。今現在は梅雨時であるが、タ―ちゃんの写真を見て、素晴らしい先達の「春の句」を思い、元気を貰った。
2021.07.02
父の日プレゼント(R3,6)

癒やしとも救われしとも薔薇の花
5月15日(兄・飛鳥逝去)から、なかなか思う様にやる気が起こらず空虚な日々を送っていた。そんな時、長女夫妻から突然とも思えるほどに「生花」が送られて来た。よく考えると毎年頂いている「父の日」のプレゼントであった。私には癒やしとも救いとも感じられる。薔薇の花が美しい。生きていればこそである。
2021.07.02
普羅の言葉と俳句

新緑の深山遥かに帰りけり(弔句)
今となれば先々月5月15日夜11時48分、兄・飛鳥(本名、正気)が突然旅だった(心筋梗塞)。齢75での旅立ちであった。
当日午後2時過ぎに姉から連絡を受け、冨山に車を飛ばし済生会病院にいったが手術後の為会う事も出来ず、夜11時頃再度の呼び出しで、最後を看とることができた。実にあっという間のできごとであった。(合掌)
人間は一人で生まれ一人で旅立つ。そうはいえども実にあっけなく、寂しい限りである。弟重男が7年5ヶ月前に同じ心筋梗塞で逝き、今度も同じ心筋梗塞ということであり、ショックを受けた。DNAのなせる業か、喫煙のせいかよく分からないが、個人的にはせめて平均年齢の81歳ぐらいまでは生きていて欲しかった。
「我が俳句は俳句の為にあらず、更に高く深きものへの階段に過ぎず」 こは俳句をいやしみたる意味にあらで、俳句を尊貴なる手段となしたるに過ぎず。
兄・飛鳥と俳論を戦わせたことを思いだす。
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