針の木峠の道標(H29,7)


コルに立つ雪渓を背の道標

針の木峠に来て思うのは、戦国時代、時の冨山城主佐々成政が厳冬期に家臣を引き連れてザラ峠から黒部峡谷を経て針の木峠を通り、浜松の徳川家康のところへ直談判に行った史実があるとされている事である。何と言って良いか感慨深いものがある。1584年のことで、成政のこの行為を「さらさら越え」と呼んでいる。その際に膨大な金と銀を埋めたとする伝説がある。道標は、我々の人生の道標にも通じているのであろうか?
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